万葉仮名とは、漢字の持つ意味の部分を切り捨てて、もっぱらその音の部分を活用し、日本語の音韻を書き表すために用いられるようになったものである。日本語にカタカナやひらがなが成立する以前には、もっぱらこの万葉仮名が日本語固有の音韻を書きあわす唯一の手段だった。
所谓万叶假名,即不管汉字所代表的意思,只采用它的发音来表现日语音节的一种用法。在片假名和平假名成立以前的日语中,要想表现日语固有的语音,万叶假名是唯一手段。
漢字の音を利用して外国語を書き表すことは、中国においても、古くから行われていた。たとえば仏典の中で、サンスクリット語の「アミターヤ」を阿弥陀と書き表し、「シャーキャ」を釈迦と書き表す類である。魏志倭人伝に出てくる「卑弥呼」も、日本名の「ひみこ」を漢字で書き表したひとつの例だと考えられる。
其实在中国,利用汉字发音来音译外来词的方法也是自古有之。比如在佛经里,梵语的“Amitābha”用“阿弥陀”来表示,“Śākya”书写成“释迦”,即属于此类。《魏志倭人传》中提到的“卑弥呼”也是用汉字表示日本名字发音“ひみこ”的一例。
中国では、このように漢字の音を用いて別の言葉を書き表すことを「仮借」と読んで、漢字の用法のひとつと考えていた。この伝統は今日でも生き続けている。たとえば日本語の歌をカラオケで歌うときに、今日の中国人は漢字だけで日本語の歌詞をそのまま再現している。
中国把这种利用汉字的发音表示另一个(同音或音近的)字的用法称为“假借(同音替代)”,它属于汉字用法的一种(汉字“六书”之一)。这种传统一直持续至今,比如在卡拉OK唱日语歌时,现在的中国人仅用汉字就能完全标注出日语的歌词。
注:假借字的用法,如“策”是“册”的假借字,“蜚”是“飞”的假借字。
万葉仮名は主に万葉集の中で使われたことから、そう名づけられたが、成立したのは、5世紀ころのことだったらしい。その当時の金石文に、万葉仮名と同じような使い方がすでに見られることが分っている。万葉仮名には大きく分けて、二つの系統のものがあった。音仮名と訓仮名である。
由于主要在《万叶集》中使用,这种用法得名“万叶假名”,产生时间大约是5世纪。据考证得知,在当时的石器文字中,就已经出现了与万叶假名相同的用法。万叶假名大致分为两个系统:音假名和训假名。
音仮名とは漢字の音をそのまま利用するもので、たとえば「はる」を「波流」、「あき」を「阿岐」と書く類のものである。これは中国本家における「仮借」と全く同じ原理に立つ用い方である。
所谓音假名,即原封不动地利用汉字读音,比如“はる”写作“波流”,“あき”写作“阿岐”等等。这和中国本宗的“假借”用法一样,来自同样的原理。
これに対して訓仮名のほうは、漢字の訓読みとして日本語に取り入れられた音節を利用するもので、たとえば「なつかし」を「名津蚊為」と書く類のものである。これはいったん日本語として取り入れられた読み方を仮名として利用するのであるから、日本人固有の用い方だといえる。
而训假名使用的则是作为汉字训读被纳入日语的音节,比如“なつかし”写作“名津蚊為”即属此类。这种方法采用的假名,是已作为日语被引进的读法,因此可以说是日本人固有的用法。
古事記も万葉集も、この万葉仮名を駆使することによって、日本語の厳密で多彩な表現を可能にした。ところで、言語学者の大島正二は、万葉集の中での万葉仮名の用い方には、いろいろな特徴が見られるといっている。それを紹介しておこう。
在《古事记》与《万叶集》中,由于对万叶假名的自如运用,使得日语严密且丰富的表达成为可能。而语言学家大岛正二又在《万叶集》中的万叶假名用法中发现了诸多特点。以下对此进行介绍。
まず漢字の用いられ方が実に多彩で、華やかさを感じさせることである。古事記に使われている万葉仮名が最小限の文字しか用いていないのと比べると、一番目に付く特徴だという。これは歌い手の数が膨大な数に上ることに起因するのかもしれない。
首先,《万叶集》中使用的汉字十分丰富,给人眼花缭乱的感觉,而《古事记》中的万叶假名却仅用很少的一部分汉字,相较之下,可以说这是《万叶集》最引人注目的一大特点。其原因可能是在《万叶集》中,歌人的数量庞大。
しかも同じ歌の中でも、同一の音韻を複数の文字によって書き表す例が多く見られる。たとえば次のような
余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈乃可利家理(よのなかは むなしきものとしるときし いよよますます かなしかりけり)
并且同一首和歌中,用多种汉字表示同一个读音的用例屡屡可见,比如下面这首:
余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈乃可利家理(よのなかは むなしきものとしるときし いよよますます かなしかりけり)
「よ」に「余」、「与」、「の」に「能」、「乃」、「か」に「加」、「可」、「し」に「之」、「志」、「子」、「ま」に「麻」、「万」、「り」に「利」、「理」など、同じ音を多様な字で表している。むしろ同じ文字の重複を避けようとする配慮さえ感じられる。
其中,“よ”对应“余”、“与”,“の”对应“能”、“乃”,“か”对应“加”、“可”,“し”对应“之”、“志”、”子“,“ま”对应“麻”、“万”,“り”对应“利”、“理”,诸如此类,同一音采用多个不同的汉字表示。毋宁说这是出于避免同一文字重复出现的考虑。
次に、偏や旁など漢字の構成要素が共通するものを、意識的に選んでいることである。たとえば
高松之 此峯迫爾 笠立而 盈盛有 秋香乃吉者(たかまつの このみねもせに かさたてて みちさかりたるあきのかのよさ)
「笠、立」、「盈、盛」、「秋香」などはそれぞれ文字の中に共通の要素を含んでいるが、これは偶然ではないだろうという。
其次,有意识选择在汉字构成要素上具有共同点的字,比如偏或旁的相同等等。比如下例:
高松之 此峯迫爾 笠立而 盈盛有 秋香乃吉者(たかまつの このみねもせに かさたてて みちさかりたる あきのかのよさ)
“笠、立”、“盈、盛”、“秋香”等在字形上都含有共同的要素,这或许并不是偶然的。
第三に、遊戯性が見られることである。「出(いで)」を「山上復有山」と表記したり、「鹿(しし)」を「四四=十六」への連想から「十六」と表記したり、「望月(もちづき)」を「十五夜」と表記する類である。
再者是文字游戏(戏书)的出现。比如“出(いで)”书写为“山上復有山”,“鹿(しし)”带来“四四=十六”的联想,因而写为“十六”,以及用“望月(もちづき)”书写为“十五夜”等等。
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